宵闇の豊穰

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 チェンマイはタイ第二の都市と言われていますが、それは歴史の長さによるためで、実際には京都のようにこじんまりとした街。人口や賑やかさで言えば、ずっと上の都市は他にあります。
 そんな小さな街なので、毎週末に開かれるがらくた市、そのがらくた市とあわせて毎週通わずにはいられない、植物を売るカムティアン市場、風情のあるカフェが河畔にならぶピン河やギャラリーなど、行くだけで幸せな気分が味わえる場所が、わが家の近くにもいくつもあります。
 中でも好きなのは、ランナー文化の伝統芸能や文字、生活習慣を教える学校。
 大きなネムノキの間に北タイ式の高床式の家が幾つも移築された学校は、軒にはアラベスク模様にも似た複雑な植物紋に切り抜き、のれんのように吊るした白い紙があったり、池には吹き流しがついたランタンが飾られて、鄙びて質素なのに、典雅な雰囲気がします。夕方になると、伝統衣装をまとった子供達が音楽やダンスの稽古をする音や先生の拍子をとる声などが時々聞こえてくるのが、また何とも風情があるのです。

 日曜日の夜、ここで野外劇がありました。

 庭には、オイルのランプが竹を割ったスタンドに支えられて光の道を作り、その中に紙製の赤い大きな日よけ傘や竹の低いテーブルが並び、丸いこれまた竹製のお膳の上にバナナの葉の器で蒸した卵料理や、串焼き、ココナッツゼリーの甘いお菓子など並び、頼めばそれらを、更にまた竹を荒く編んだ小さなお皿にのせてくれます。まるで辺り一帯竹尽くしだな、と目を上げると、花壇のサークルも竹製。聞けば用途によってそれぞれ違う竹を使うそうで、改めてここチェンマイは竹の国なのだなぁと思えます。
 バナナの葉のお皿も竹の器や調度も、どれも作りたてで清潔、
使い終わって時が経てば、いつか焚付けになるか、そのまま朽ちて土に帰る。
それも自然でなんともエレガントだと思っていると、腰に飾り布をつけた
男の子達が太鼓の前に登場し、ランナー風の古い壁画から抜け出してきたような
女の子達が薄衣をひらめかせ、赤い花弁をあたりに振りまきながら舞い始めます。
 座席もないのに、ここでお芝居をするのかしらん?私は平気だけれど、
困る人もいるのでは・・。
 周りの人たちもどうしたものか地面に座ろうかと、あたふたしはじめたところへ、
舞踊手達が花弁を地面に巻きながら、観客を舞台と思われた方、
更にその向こうの大きな池にかかる橋へと招きます。
 舞台の始まりと思った舞は、集まった人たちへの招待の挨拶であり、
更に日常から人を物語の世界へ誘う見事なプロローグ。
 能の舞台の橋懸かりはお能で、役者が舞の世界に入って行く虚実を結ぶ境界で、
観客はその変容の様を、息をのんでみているのですが、
この緩やかで柔らかい空気に満ち、自然や精霊と人が普段から入り交じって暮らすタイ、
その気風が今も残るチェンマイでは、橋懸かりは観客さえも渡れるものだったのです。

 水にぼおっと火が映り、水草が揺れているのを見ながら橋を渡ると、
そこは古い高床式の入り口。
 家の中では「フォン・ピー」という精霊を呼び出し、女性に降ろす儀式を再現したダンスが
行われています。祭壇に向け、火や水を捧げ、女達が歌いながら踊り、
徐々にトランスに入っていくのです。ダンス化されているぶん、場所はむしろ迫力を増し、
どこかバリのケチャやサンヒャン・ドゥタリにも似た、緊張感と熱を漲らせてゆきます。
 橋を渡った観客達は、実際にフォン・ピーに集ったようにテラスから家の中の空気が
白熱する様を見、次第にだれもが虚実が曖昧な空気に包まれ、トランスしたような状態に
なって行く頃、突如儀式の舞は終わり、人々に向かって開け放たれていたドアは、ばたん!と
無常に閉ざされ、テラスは闇と静寂に包まれて、人は少しだけ我に返り、
そうだ自分たちはフォン・ピーの形を通して、その向こうの古いランナーの薄やみの中で
人がまだ精霊、霊魂が交感できた頃の世界をのぞいていたのだ、と気づくのです。
 闇の中、足の裏で竹の床(どこまでも竹の国!)の渡り廊下の弾力があるものの
どこか華奢で踏み抜いてしまいそうな心もとなさ、古い家の懐かしい暗さを味わいながら
通り抜けると、そこには大きな木が何本も生えた、誰も知らなかった空き地がロウソクの灯の
向こうにぼんやり広がっていました。

 この演出だけで、すっかり物語の世界に全身迷い込んでしまった私達を迎えたのは、
美しく、愛されすぎて高い塔の中から出る事を許されずに育った姫君の物語。
 あらゆる求婚を拒んだ彼女が、恋に落ちてしまったのは、美しい修行僧。
 しかし僧侶は姫君を拒み、姫君は悲しみで亡くなり魂だけが地上でさ迷い人々を悩まし続ける。
(最初のフォン・ピーは、姫君を呼び寄せるものだったのかもしれません)
 けれど、年月が経ち、姫君づきの小間使いも老女になった頃、
都を訪れた旅の僧侶がその物語を聞き、やってきた姫君の霊に許しと涅槃を説き、
姫君もついには救われる・・。
 そんなどこか道成寺にも似た、しかし、姫君に救いがあるのがタイらしい仏教説話を
下敷きにしたシンプルな筋書きの物語で、登場人物もコロス役の市場に集う人々、
賢く情に厚い、宮廷と市井をつなぐトリックスターのような女性、
かつて姫君に使えていた小間使いの老女、幕間のように入る舞や伝統的な儀式を再現した行列など、
物語の型がしっかりとわかります。おかげで、言葉が充分にわからなくても
充分に筋を理解して楽しめる舞台です。
 そして舞台も、最大の見所、演出は立派な列柱のようにも見える大きな木々や、
闇の深さ、草の香りのする空気。作られた大道具は極僅かで、
それも紙や古い木を使っているので、広々とした自然な夜の場所とよく調和しています。
 また、まるで場面にあわせたかのように、風がどっと吹いたり、
木の枝から紙吹雪のように細かな葉がはらはらと散ってくるのは、
この場所を自然までもが祝福しているようにも思え、隣の席の女性が降ってくる木の葉をさして
「きれいよね」と呟くのには、思わず互いにうなずいて微笑いあってしまうほど。
 更に闇に目が慣れてくれば、大きなドームのように頭上を覆う木の枝の向こうには、
オリオン座がのぞいているし、小さなフクロウが首をかしげてこちらを見つめ返してきたり、
セリフや音楽の狭間の沈黙を見つけては、役者の頭上をモモンガが飛翔して横切ったりしています。
 役者の技も、照明や音楽、あるいは美術や衣装も、
正直に言えば、はるかに高度なものが日本にはいくらでもあります。
 けれど、これだけ、演じ手、舞台が内向する事なく、見る人と演じる人の間の空間が、
あたかも夢の中のように緩やかに入り交じって自然に存在しあって、
そこに立ち会う人も、動物も自然も皆、世界と交感している。
そんな舞台や場所を見る事はそうそうなかったと思い、また日本に居た頃、野外で踊る事は、
まるで自分のエネルギーを際限なく外界へ吸い取られるようで怖いと思っていた節が
あったのだけれど、そういえば、自分はここへ来て、
外で踊る事にすっかり好きになっていると気づいたのでした。
 もともと、ダンスをしても何か自分は誰かと、彼方にある親しい存在との仲介点のようなもの、
そんな自分が消えて行くような、誰かと遠い星を一緒に懐かしく眺めるような表現ができないか。
というのが私の願いでした。しかし日本ではまだ、踊る自分へのこだわりが勝っていたようでした。
 いまならば、場に集まった物達の交感の結節点のような、
自分のようで、誰かでもあるような、そんな踊りができるように感じ、
改めて無性に踊ってみたい気持が湧いてやまない、何もかもが優しく、
まるで宮澤賢治の『風景やみんなといつしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかに
ともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明』のように交流しているのが感じられる、
密やかに喜ばしい思いが満ちてくる豊かな夜だったのです。

 私が化粧品を作りはじめたのも、身体が、人同士、自然、
あるいは世界との関わりの中でどうあるべきか、皮膚やその奥の筋肉や骨や細胞は、
そういう中でどうしたら、健やかに周囲を感じられるように居られるか?そんなことがきっかけ。
 人にも自然にも、安全な素材を使う、手や五感を駆使してもの作りをする、
材料や使ってくれる人への礼節として美しい形や良い質を作る。物を通しても、
自然や誰かと交感できないか、という思いからでした。
 幸い、この不思議な万物が溶けるように交感しているチェンマイで育ったスタッフたちは、
そんな、何かに思いを込めて、あるいは物を通して思いを届けたり、受け取ったりする、
そんな感覚を早くから掴んでくれました。(もしかすると、生来のものかもしれません)
 これからもそれを、更に磨きながら、デリケートに、柔らかく、
しかし確固たる思いを持って、もの作りを進められたら、と思うのです。

写真は、舞台の一場面。
王子の扮装のオン君。
普段は素晴らしいダンサーですが、姫君に振られてしまう少し可哀想な王子を
コミカルに演じていました。

太ももには、昔、ランナーの男達が男らしさを競っていれた、
獣紋の入墨を模したボディペイントが見えます。
この入墨は、見栄えの他に入墨ができる財力(とてもお金がかかるそう)、
痛みに耐える勇気、また彫った模様の動物から得られる力などの意味があったとか。
人でありながら、動物にも変身する、やはり自分とは別の何かと交感する意味があったのです。

ご紹介は、そんな柔らかな場所、チェンマイでつくるものたちです。
この記事に関する商品
naiad/アルガンせっけん
アルガンオイルを配合した優しい洗い上がりの石けん
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 コールドプロセス製法で作られた石けんです。製造過程で熱を加えないためオイルの酸化を防ぎ、またグリセリンなどの保湿分をそのまま石けんに残しているため、さっぱりしっとりのマイルドな使用感。 <br />主な原料であるトルコのアダテペ村産エクストラバージンオイルが肌に潤いを与え、タイ産のココナツオイルとパームオイルが豊かな泡立ちを生みます。またアルガンの木の実から採れたアルガンオイルを配合。アルガンオイルにはビタミンEが含まれており、優しくふっくらとした感触の肌に洗い上げます。
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素材の持つ時間とつくる手の気配が肌や髪をくつろがせる、チェンマイ ナイアード・タイランド発のものづくり。

花岡 安佐枝
つくり手
花岡 安佐枝
はなおか あさえ
プロフィール
ナイアード・タイランド主宰。チェンマイの工房にてタイ独自の企業コンセプトデザイン、石鹸、アルガンクリームなど、自然素材のコスメティックを企画開発。モロッコ(ばら水、ガスール)、ネパール(野生の蜜蜂のリップクリーム)で、製造ラインデザインやトレーニング、実際のものづくりを通し現地企業スタッフと活動中。
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